FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

ゴーン氏はなぜ強欲だったのか? コストカッターの宿命?

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日産のゴーン会長が捜査を受け失脚するという事件が起こりました。クーデターだとか私的流用はけしからんとか、いろいろな意見が飛び交っていますが、ひとつ気になったのは、なぜゴーン氏ほどのお金持ちがここまでケチだったかということです。

 

 それは、ゴーン氏が「カネに汚くて強欲」と一部の社員から捉えられていたからだ。

たとえば、日本で最初に自著『ルネッサンス』を出した時、印税はすべて自分の懐に入れ、日本語訳や校正などで協力した日本人社員には一切分け前を渡さなかったという逸話が残っている。通常、大企業のトップが自分の実績を誇示する本を出した場合、印税は会社に入れるか、寄付するケースが多いが、ゴーン氏はそうではなかった。

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書籍の印税なんて、ベストセラーになってもたかが知れています。10億円超の給与をもらっていたゴーン氏にとっては、誤差でしかありません。この話が本当かどうかは分かりませんが、事実だとすれば不要なまでに強欲だといえるでしょう。

 

経済学では、お金の効用は額が大きくなると逓減するとされています。年収500万円の人にとっての100万円は大金ですが、年収1億円の人にとっては大した額ではありません。100万円の価値は、人によって大きく異なるのです。

 

この理論どおりなら、ゴーン氏にとって印税程度のお金を懐にいれることで得られる満足度、嬉しさは本当に小さなもののはずです。また、合理的に考えれば、利益をみんなに分配することで人気を得ておくほうが、政権維持のためには有利でしょう。おそらく、これは氷山の一角で、ほかの面でもできるだけ自分の金は使わないという意識の人だったのかもしれません。または、小さな額でも気にする人だからこそ、コストカッターとして有能だったのかもしれません。

 

ただ、現在の資本主義における経営者の立ち位置はたいへん強いものになっているのは事実です。「会社は株主のもの」という法的な位置づけとは異なり、議決権の多くを持つオーナーがいたり、精神的な支えとなる創業家があったりしない限り、実質的に会社は経営者のものとなります。

 

そうした経営者の中には、自分をちゃんとチェックする外部取締役を招いて自身を律する人がいる反面、日常のコストも「これは事業に関係している」と強弁して会社に回す人が多いのも事実です。

 

上司、特に社長とご飯を食べたときに、会計を会社の金で払っているのを見たことがありませんか? 自分が旅行したいだけなのに、部下を何人か引き連れて、会議の名目で高級旅館に泊まる社長を知りませんか?

 

これを「実質的な報酬パッケージだ」ということは簡単です。問題は、その分を給与として払い、それで支払いをすればいいのに、なぜそうしないのかということです。

 

給与にするより会社の経費にするほうが税金が安くなるという考えもあるでしょう。給与の場合、ある程度の規模の会社なら第三者委員会の決定になっていたり、外部公表義務があったりするので、あまり大きくしたくないという気持ちもあるでしょう。

 

でも、問題は「この会社のカネは自分のカネだ」とどこかで思っているところにあります。つまり、株主から預かっている会社だという意識が薄いのです。別の見方をすれば、会社のオーナーだという意識が薄いせいで、取れるだけ取ってやろうとなっているのかもしれません。

 

今回はゴーン氏の強欲が白日のもとにさらされ、さらに失脚するという事態になりました。でも、ほかの会社でも、多かれ少なかれ似たようなマインドでやっている経営者はいます。この強欲は人による性格からなのか、それとも経営者という立場がそうさせるのか、考えるニュースでした。