FIRE: 投資でセミリタイアする九条日記

九条です。資産からの不労所得で経済的独立を手に入れ、自由な生き方を実現するセミリタイア、FIREを実現しました。米国株、優待クロス、クリプト、太陽光、オプションなどなどを行うインデックス投資家で、リバタリアン。ロジックとエビデンスを大事に、確率と不確実性を愛しています。

給料の額の決まり方 優秀でも増えないわけ

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自分の給料の額はどのようにして決まると思います? 会社の人事規定があって…というのもありますが、ではその規定はどのように決めているのでしょうか?

 

企業は、社員を労働力という商品だと考えています。新卒から労働力を買い取って、対価として給料を渡すという構図です。そして商品の対価は、次のように考えられています。

労働力は商品化されています。それの対価である賃金は、さっきも言ったように、3つの要素がある。

1ヵ月の衣食住、それに少々のレジャー代。これで翌月も働くエネルギーを蓄える。

そして2つ目に家族を扶養し、子供に教育を受けさせるお金。(中略)いずれにせよ労働者階級を再生産する、そのためのお金。

それから3番目が自己教育の資金。皆さんもこの講座に来ているのは、自己教育になるからではないでしょうか。生きていく上で、世の中を今とは別の見方で見ないといけないそんな必要性をどこかで感じているのではないでしょうか。

いま生きる「資本論」

いま生きる「資本論」

 

江戸時代の農民は、生かさず殺さず、と言われたようですが、サラリーマンも同じようなものです。生きていくために必要なお金、子供を育てるためのお金、そしてサラリーマンとして性能アップさせるためのお金。そのために最低限必要なお金が給料になります。

 

こう考えると、住宅補助とか家族手当とかが存在する理由も分かります。外部で勉強するなら補助を出すという会社も多いですね。逆にいうと、この3つに関係ないお金は出さないというのが基本です。

 

どうして途上国よりも先進国のほうが給料が高いのだと思いますか? 例えば、理髪店で髪を切ることに対する報酬は、同じ仕事をしていても全く違います。これも、生きていくために必要なお金が違うから、と考えると分かります。仕事がもたらす成果に応じて給料がもらえると言われることもありますが、方便ですね。同じ成果でも、給料は変わってくるということです。

 

ただ、成果がまったく影響しないわけではありません。モチベーションを上げてさらに頑張るための成果報酬も用意されています。 短期的には賞与がそうです。長期的には、出世に伴う昇給があります。ただし、出した成果だけの報酬がもらえるわけではなくて、そのごく一部を出すだけです。

 

賞与や出世は、絶対的な成果に基づくわけではなくて、他の従業員との相対評価となることがほとんどなのを考えると分かります。ものすごい成果を出しても、同僚がさらに大きな成果を出していたら、大きな賞与が出るとは限らないわけです。出世もそうですね。

 

もうひとつの要素はリテンションです。年功序列は崩壊しつつありますが、優秀な人には長くとどまってほしい。そのためには、ライバル企業と遜色ない給料を出す必要があります。そう、成果に関係なく、ライバル企業と同じかちょっと上あたりを給与水準として定めるのですね。

 

さらに日本企業はメンバーシップ型だといわれる点に注目です。欧米によく見られる同一職種同一賃金という考え方はジョブ型と言われます。逆に、仕事内容に関係なくいわゆる総合職として働く形をメンバーシップ型といいます。日本企業はメンバーシップ型の色を濃く残しており、そこではどんな仕事をしていても、給与水準は一定の枠に入るようになります。たとえば、人事や経理、総務など、どの会社でも同じような仕事をしている場合でも、給与水準が高い会社では給料が高くなるのです。

 

こうした背景は、わざわざ分析するまでもなく暗黙のうちに理解されていると思います。だって、東京の給与水準が高い業界の、給与水準の高い大企業に入ろうとみんな頑張るんですから。

 

ただ、こんなロジックで給料が決まっていると理解すると、いいことが2つあります。

生きるために必要な金額+アルファ 

ひとつめは、会社は成果報酬やリテンション目当ての給与規定というルールをうまくつくり、それが当たり前の環境であるかのように社員を誘導していることです。こわいもので、10年も会社で働いていると、こういうルールが絶対的で当たり前のものに感じてきます。このルールの枠内で、いかに給料を上げるかということに全力を尽くすことになります。

 

会社は社員の給料をコストと考えており、モチベーションを維持してリテンションを図りながら、いかに給与水準を低く保つかをいつも考えています。これは、給与制度の設計者になると肌身で感じる部分です。

 

このルールの中で競争する限り、ものすごく頑張っても、もらえる給料は大したものになりません。これは、取締役や社長でさえそうなのですからびっくりです。社長の給料でさえも、同業他社や同格の会社と比べてどうか? という観点で決まっていたりするのです。

 

そしてふたつめは、だからこそ、別のルール、オーナーが総取りするというのが会社内を除いた資本主義のルールだということに気づけることです。中小企業であっても、オーナー社長の給料は、大手企業のサラリーマン社長よりも高いことが珍しくありません。いや、表面的にはオーナー社長は給料を抑えている可能性もありますが、それは税金対策のせいで、実質の収入はもっともっと多いのです。

 

働くことで多くの金を稼ごうと思ったら、事業のオーナーになるしかない。これは会社員の多くが気づかない、絶対の真実です。